父の命日を母と過ごす。
母もすっかりおばあちゃんになった。
5月には82歳になる。
「母を心配」するというよりも「82歳」という年齢が心配を引き寄せる。
目の前の母は病院にお世話になるところがあっても笑顔で暮らしているのに。年々、私の心配性は酷くなるばかり。なにもできないのにね。
そのくせいちばん私のことを心配していてほしいのだ。私は子供のままだ。
父は66歳のとき、大動脈瘤解離で突然旅立ってしまった。部屋にひとりきりで。だれにもその瞬間を知られないまま。残された父のひとりきりの時間が生々しく部屋に残っていた。
この日のことはよくよく覚えている。病院へ向かう電車からみた空やタクシーの中でのこと。十数年過ぎても変わらず悲しい。
変わらない。
父は桜のトンネルをゆっくりゆっくりくぐり我が家を後にした。その光景もあって桜の季節は私にとっては悲しい季節だ。だけれど、なんか全く違う思いに気づかされた。父に用意された桜のトンネルがとても美しく思えている。父は超ド級の心配性で家族を愛してくれた。当時は鬱陶しく思えたけれどあれほど愛してくれる親はいないと誇らしく、そして力強くしてくれる。父が聞かせてくれた沢山のこともしっかり私の中で生きている。
私自身は父に対し悔いの残ることは山ほどあるけれど。
感謝の気持ちはいまだ増え続けている。